まちづくりの方向

美瑛町では、平成8年度から「第3次美瑛町総合開発計画」をもとに「丘のまちびえい」の優れた自然や特色のある気候・風土を生かしたまちづくりに以下の7つの目標を定めて邁進しています。

「丘のまちびえい」にふさわしい田園都市環境の創造
活力ある農林業の確立
商業と観光の振興
健康でふれあい豊かな福祉社会の創造
活力に満ちた長寿社会の創造
地域に根ざした生涯学習の創造
心と体を育み、国際化・情報化に対応した教育文化の創造



位置・面積

北海道のほぼ中央で、道内第2の都市「旭川市」と映画「北の国から」などで知られる「富良野市」とのほぼ中間に位置しています。
美瑛町は、面積が東京23区の広さに匹敵し、その70%以上を山林が占めています。また、約15%を畑地が占め、これを中心に「丘のまち」の美しい景観を形成しています。


北緯/43°24’55”〜43°39’58”
東経/142°19’28”〜142°54’57”
面積/677.16平方キロメートル



人口と産業

昭和40年前半まで2万人以上を数えた人口も、過疎化の進展に伴い、平成7年度の国勢調査では、およそ1万2千人程度まで減少しています。一方、美瑛町は、農業を基幹産業として位置付けていますが、近年「丘のまちびえい」の名とともに観光客の入り込み数が増加し、これに伴い関連する産業の活気が増しています。




まちのあゆみ
・江戸時代の末期(安政4年)幕府役人が始めて美瑛川を調査。

・明治27年に初めて辺別太(旭)に入植。

・明治33年に神楽村から分村し、美瑛村となる。


[町名の由来]
美瑛は、アイヌ語の「ピイェ」より転訛したもので「油ぎった川、濁った川」という意味。それを本町の開拓者が「ビエイ」と訛って呼んでいたものに「美しく、明朗で王者の如し」という意味の「美瑛」の漢字があてられ、現在の「美瑛」と命名されました。


○十勝岳連峰に抱かれた美瑛町は、江戸時代末期からこれまで5回にわたって十勝岳の噴火による災害に見舞われてきました。このため、現在では十勝岳において火山砂防対策を進める一方で、関係機関と一体となった防災訓練など、非常時への備えを強化しています。

・昭和24年、十勝岳の麓、白金地区において温泉が湧出。この地区は道内有数の温泉街を形成しています。

昭和15年  町制施行
昭和38年  町民憲章と町章が制定される。
昭和41年  白金に「国立大雪青年の家」開所。
昭和48年  オーストリアのザールバッハ町と姉妹都市提携。
昭和53年  現在の「宮様スキーマラソン大会」にあたる「第1回北海道歩くスキー
 交歓会」が開催される。
昭和62年  風景写真家、故前田真三氏のフォトギャラリー「拓真館」がオープン。
 以来、年間に40万人もの観光客が訪れる人気スポットとなる。
昭和63年  美瑛町の夏を代表するイベント「ヘルシーマラソン」が、この年初めて
 開催される。
○平成に入ってから、美瑛町の美しい自然景観が脚光を浴びるようになり、多くの方々が訪れるようになりました。本町では、平成元年度に「美瑛町自然環境保全条例」、平成15年度に「美瑛の美しい景観を守り育てる条例」を制定し、このすばらしい財産の保全に努めています。
平成4年  青森県岩木町と姉妹都市提携。
平成4年  十勝岳を24時間体制で監視する「十勝岳火山砂防情報センター」が完成。
平成9年  町の観光情報発信施設「四季の情報館」が完成。
平成11年  美瑛町開基100年。
平成15年  町民の健康づくりの活動拠点とする「保健センター」が完成。
 住民活動と行政の協働を理念とした「住み良いまち美瑛をみんなでつくる
 条例」の制定。
平成16年  「大雪地区広域連合」の業務開始。

町 章

       



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町の木

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